実を言うと、貨幣は商品流通において主題の一つになりうるものではなく、財貨の交換を円滑にするためにひとたび互いに同意し合った交換用具にすぎない。貨幣は商品流通の車輪の一つなどでは決してない。そうではなく、それら車輪の回転を円滑にするための潤滑油のようなものである。
デーヴィット・ヒューム「貨幣について」、「市民の国について」所収、小松茂夫訳、岩波文庫
大学3年生にもなると、誰もが意識する就職活動。
- あなたは何のために働くの?
- 社会にどのような価値を提供できる?
- 仕事を通じて実現したいことは?
あまりにも無責任に振り回される言葉の剣が収まる鞘の所在を私は知らない。
働いたことなんてないのに仕事のやりがいなんて考えられないし、それ以前に働くことについて詳しく知らない。労働=バイトだった多くの若者にとっては、お金を稼ぐためにやらねばならぬこと、という認識がある程度だろう。
現代の経済資本主義社会において、お金を手に入れることはとても大切だと思う。
しかし、お金にはどんな価値があるのだろうか。
改めて考えたい。
価値を形成する実態が『抽象的人間労働』から、『爆発的過程共有』になってる気がする。特にこの三年くらい。
— 何でも屋「ナイス谷中」 (@tanita_try) April 18, 2022
物の価値を労働量で決めてしまうのはどうも違和感があるのよね。本当に生産物にだけ価値があるのだろうか…その過程にも価値があるとおもうのですが、マルクスさんはそう思ってない様子。